蒐集少年

年末っぽくなってきて、気持ちばっか焦る。

年明けにいっこ入稿があって、それが済んだらもう3月J庭の入稿日も決まってしまう。

まずい焦る。焦りでついとうもろこし味のおかきとか食べてしまうガツガツ。

 

それはさておき。

短編集『逆行少年(仮)』の中の一篇『蒐集少年』をブログにもはっときますネ。

これはぴくとぶとかエブリスタってとこにもはっつけたやつなので目新しくはないです。

最初の一次イベント参加のときにためし読み用に配ってた冊子もこれでしたそういや。

これで『返上少年』『蒐集少年』を載せたので、あとは、

『逆行少年』『鉄塔少年』『世界の終わりはとても静かな』の三つもボチボチ載せてきます。

おヒマ持て余してたら読んでやって下さい。

 

『蒐集少年』は割とコント風味です。

あと、全然少年でなくて青年同士だけど許されたい。

 

 

 

 


 確かに、蒐集癖があった。これは血脈的にも環境的にもおやじのせいだと言ってしまっていいだろう。
 金に飽かせて買いあさる、というならまだかわいげもあったのだと思うが、残念ながらおやじは「金を持ってる本物の」蒐集家だった。集めるとなれば隅々集めなくては気が済まなかったし誰かが自分の欲しいものを持っていると知れば、具体的な方法は伏せるが、それはえげつないやり方で巻き上げたりもしていた。
 そんなだったから、うちの敷地内にはいわゆるコレクションハウスがあって、小さい頃はその建物の中に足を踏み入れたらそれこそ鞭で追われる勢いだったのに、成長したおれに自分と同じ素養を見いだしたおやじは、その一角をおれに譲り渡すという破格の待遇をくれた。ママは呆れ半分やっかみ半分にあんたたちときたら、とだけ言って夜な夜な劇場に出かけて新しい愛人を捜すのに余念がなくなった。それをいいことにおやじの蒐集はますます熱を帯び、家庭崩壊の危機も税理士の使い込みも世界規模の紛争もどこ吹く風という無責任さで加速していった。
 で、親子二代にわたって情熱と財力を注いだそれらすべては、悪意の放火であっけなく灰になった。おれの体とともに。
 おやじの打ちひしがれ方はそれはもう半端でなく、なぜ自分が死ななんだと度々言っては周囲の人間を涙ぐませたらしいが、おれにはおやじの本心が手に取るようにわかる。息子を失ったとかそういう問題ではない。おやじにとってコレクションは我が子同然とか自身の一部とかそんな生やさしいものではなくて、言えばおやじの方こそがコレクションの一部だったのだ。今のおやじはみじめに焼け残ったコレクションの切れっぱしにすぎない。そんな気持ちで余生を生きるくらいなら、いっそ一緒に粉微塵になった方がマシだったと、あれはそういう嘆きなのだ。
 そうしておれは肉体という実体をなくして、今はこうして宙を漂いながら「蒐集して」いる。
『栗巻邸、放火。長男の秀太郎氏、非業の死』
 でかでかと見出しに名前が載ってる新聞なんて、おれでなくともとっておくだろうに、残念ながら今のおれにはこうしたものを集めることは出来ない。
 さりとて意識のみになったおれには、予想外に色々なものが与えられた。どこから、と言われても困るが神様あたりだと思っておこう。
 まず、コレクションルームだ。
 空中のどこ、と場所は明言できないのだが気づくと扉が目の前に現れる。まるで実験室にでも続くようないかめしい扉をくぐると、ジャングルに迷い込んだかと勘違いしそうな、蔓植物だらけの部屋へと続く。ところどころに地が見えて、床も壁も白いのだとかろうじてわかるが、ほとんどが植物に覆われてしまっている。その部屋を奥へ奥へと進むと、簡単なつくりの棚の上に、空っぽの瓶がいくつも並んでいるのが見えた。
 最初は、この瓶自体がコレクションなのだと思っていた。けれど、ちょっとしたきっかけでこれがコレクションをいれておくための「容れ物」なのだということがわかった。
 ある雨の晩。意識だけの体は便利なもので、雨もなにもすべてが貫通していってしまう。当然濡れる心配はしなくていいので、おれはいつもの通りにふわふわと散歩(正しくは歩いていないから、散浮とでも言うべきか)を楽しんでいた。見通しの悪い路地の上空にさしかかったとき、それは起こった。
 真っ暗い路地に向けて、真っ黒い乗用車が、凶暴な音をたててつっこんでいった。あっと声をあげるより先に、暗闇をつんざく悲鳴が響いた。
 その瞬間、頭の奥の方で透明な鈴が静かに砕けるような、か細い音がした。ふと顔をあげると例の部屋に通じる扉があったから、そのまま音に導かれおれは瓶の棚の前に向かった。案の定、一番手前の瓶の中には「何か」が入っている。暗がりの中でそれは色々に光っていて、そっと瓶に近づいてふたを開けると、果たしてそこからはさっきの、路地裏に響いたのと同じ悲鳴が聞こえてきた。
 なるほど、と納得しておれは棚の上にあった白いラベルに「路地裏の轢き逃げ断末魔」と書き、瓶にぺたりと貼った。つまりこれからは、こうした事件をコレクションすることになるのだと思って、不謹慎にもわくわくした。
 ところがこれはそう単純なものでもないらしく、いかにも事件の起きそうな夜に、埠頭だの繁華街の裏路地だのにいそいそ出かけてみて、なかなか凄惨な現場に巡り会わせたりもしたのだが、瓶の中身は増えなかったりするのだ。
 しばらくは法則性が見えて来ず、悶々とする日々が続いたが、おれはこの仕事に熱中していた。何を集めればいいのかすらわからないというミステリィみたいな流れがちょいと気に入っていたのだ。
 ある昼の日、おれはたまたま集合住宅の前を通りがかって、中年の婦人がふたりして焼却炉の前で大声で話しているのを聞いた。
「こんなものを、後生大事にして……私たち家族に美味しいもののひとつも食わせりゃあ良かったのに」
 いかにも暮らしに疲れた感のある中年の婦人が、ごみ置き場にどさりと置いたファイル束がすこしばかり気になって、横から覗かせてもらった。一見単なる旅行の記録かな?と思った矢先、おれは戦慄した。おれは鉄道に執着するほうではないけれど、それでもわかる。今はなき特急列車の一番切符、式典時にのみ配られる時刻表や駅長挨拶のチラシ、コレクション価値としては荒削りながら滲み出てくる情熱がある。嫌いじゃない、決して嫌いじゃないぜこういうバカ。ああおれの、元のおれの部屋が燃えてさえいなければ貸すのに、と嘆息した瞬間、瓶の中身は増えていた。おれは目の奥の熱くなるのを堪えて、ラベルに「彼の無念」と書き付けた。心配するな、同志よ。あんたの無念はちゃんとおれが蒐集した。

 こうしておれの蒐集生活は再び順調さを取り戻した。今のところの感触としては「この世から人知れず消えていこうとしているもの」「その美しさに相応しいとは思われない無惨な最期を遂げるもの」などが蒐集対象となっている様子だ。
 それならおれはもっともっと遠くの町や村、山奥にまで出掛けていかなくてはなるまい。海の向こうの島に引きこもっている芸術家や、まだ埋もれたままの麗しい現象を探しにいくのが使命なのだとすら思い始めた矢先。
「……」
 東向きの窓。これでは朝しか陽は射さない。こんな明らかな安普請のアパートの前で、泥に足を取られたようにひっかかって、おれはまったく動けなくなってしまった。なんの変哲もない、まあ個人的感覚で言わせてもらうなら貧乏くさい建物だ。部屋数は五、六くらいのもので、とてもではないがおれの蒐集魂を満たしてくれるものがあるとも思えない。
 いったい何が起きたのか、考えているうちに夜がきて朝になって、また夜が来る。無理もない、この体は眠くもならなければ腹も減らない。暑くもなければ寒くもないのだ。退屈しきって発狂してもおかしくなさそうなものだが、強いて言うなら蒐集への情熱だけが今のおれの日々の糧なのに。ああどっか行きたい、遠くに行きたい。海とか山とか島とか、色々観たい景色だってあるのによりによってなんで町なかの貧乏アパートなんだ。こんなとこでじっとしてたら、それこそ「視える奴」なんかに視られて地縛霊と間違われても文句が言えない。思い切り走ってみる、飛び上がってみる。回し蹴りなどしてみる。じたばたと思いつく限りのことをしてみたが、たまに「視える」らしい野良猫が視線を投げてくるくらいだった。
 今日もそんなことを考えているうちに朝日がのぼり午前中が過ぎ、昼前の頃に、ひとりの男がアパートの階段を降りてきた。そうして汚い一斗缶をどこかから引きずってきて、その中に火を熾すとどさりと何かを投げ込んだ。
「……」
 火の中に投げ込まれたのは、原稿用紙の束のようだった。なかなかどうして量がある。もしやこの原稿が貴重なものなのか?との疑いが首を擡げたが、すぐに否と首を振る。なぜなら、興味がないからだ。
 おれは本を読まない。吃驚するほど読まない。そして失礼なくらい小説というものを侮っている。それはもう、おれの嗜好なので、という外に説明のしようがない。美術品、芸術品の類も勿論コレクションはしている。そのヒエラルキーの中でも文字原稿は一番下だ。何が言いたいかというと、おれにも蒐集家としての矜持があるから、たとえそれがいかに貴重なものだったとしても、自分の興味のないものを集めたりありがたがったりはしないのだ。では、おれは一体なににひっかかっているのだろう。自分で自分の興味の矛先が見えないなんて、初めてだ。
 原稿の束を燃やしているのは、まだ若い、と言っても生前のおれよりすこし上の感じの男だった。着たきり感のある紬にえらくレンズの厚いメガネをかけた、典型的な文学青年というやつだろう。何やら諦観した風な表情で、炎のあがる一斗缶を小枝でつつき回していた男の後ろから、アンタ!と年配女性のかしましい声が呼んだ。
「ちょいと文学さん、またアンタそんなとこでたき火して!」
「お、大家さん」
 すみませんもう済みましたんで、と男が慌てて火を消す。大柄、と言って差し支えない背の高さだが、いかんせん細い。そしてひどい猫背で、首を竦めてぺこぺこ謝るものだから、幅のある大家の女の方が何倍か大きく見えた。
 大家も本気で叱るつもりはなかったらしく、一方的に喋って、男の肩をバンバン叩いて、また喋ってゲラゲラ笑い、最終的にはその手に干し柿と大福を大量に押しつけていた。彼女に悪気がないのは一目でわかる。このボンヤリした男をからかっているだけだ。先から文学さん文学さんと呼んでいるのは、あだ名のようなものだろう。表札には八尋、と書かれている。全然文学じゃない。雰囲気的に言いたいことはわかるが。
 なんとなくでこいつの後ろにくっついていってみたら、部屋に侵入することに成功した。何日かぶりにおれは動けたことになる。やれやれだ。このまま勢いでアパートから離れられないものかと、窓からにゅっと顔を出してみたりしたが、一定の距離から先には進めないようになっているらしい。どうせなら派手派手しい踊り子の部屋とか、探偵の部屋とかならよかったのに。
 仕方がないので、部屋の主である八尋を観察することにした。こいつが突然首吊りでも始めたらあるいは蒐集対象になるのかも、なんて物騒なことを考えながら暮らしぶりを眺めた。部屋は六畳一間、基本的にものがない。背の低い文机がひとつ、あとは本棚。押入があって衣類や布団はそこに仕舞われている。整理整頓されている、と言えば聞こえはいいが、とにかくものがない。何にもない。ここにおれの欲しいものがあるとは全く思えない。
 やっぱり退屈で発狂するしかないのか?と思ったがまだ運に見放されてはいなかった。なんと八尋の傍にくっついていると、移動が出来ることが判明したのだ。
 久々の遠出、と言っても市内ではあるが、とにかくあのボロアパートの前から離れられるのが嬉しかった。路面電車なんて乗ったことなかったから新鮮だ。シートに腰掛けてみたいのに、八尋は立ったまま片手で吊革を掴んで本を読んでいる。まあ一車両内程度の範囲であればおれの自由は保証されていたから、束の間の自由をフラフラと謳歌した。車内の客は一様にくたびれた表情をしていて、今更ながら社会は大変なんだな、と思ったりもした。あくまで想像に過ぎないが。
 仕事をしていておかしくない年頃だろうが、八尋は多分学生だ。そう思っていたらたまげたことに到着したのは某一流大学の門の前で、こいつはここの仏文科生だった。
 なんだ本当に文学さんだったのか、と思って眺めていたら、八尋は授業には出ずに図書室に引きこもって、何時間も書き物をしていた。その退屈さに呆れると同時、今のおれは本当にこいつにくっついている範囲でしか動けないのだと思い知った。もうちょっと面白いところ、せめて標本室とか理科実験室なんかだったら良かったのに。結局閲覧室と書庫の往復だけで、あとはもう八尋の顔と窓の外を交互に眺めているくらいしかすることがなかった。
 八尋は真面目な顔をして考え込んでいると、ちょっと怜悧な風貌の男と言えた。細面で、顎も鼻先もいたるところが尖んがって見える。だがひとたび教授だの学友だのから声がかかると、それはそれは柔和に笑って応じるのだ。作って装っているのかと疑ってかかってみたが、結構な人数に絡まれてもこいつは変わらない。いつでも機嫌のいい男だった。
 日が暮れて、やっとあの本の魔窟から脱出できたと思ったら、八尋は真っ直ぐ帰宅せずにまた電車を乗り継いだ。着いた先は薄暗いキャフェで、こんな洒落た場所にも来るのかと感心したらどうやら文人同士の集うサロンみたいなものらしく、ここでも結局おれは退屈晴らしに人間観察をする羽目になった。なんだってこういう手合いは、こんなに煙草をバカバカ吸うんだ。
 八尋はここでは妙に人気があった。お取り巻きを侍らせるタイプじゃないが、同じ年頃から一体お前は何十回留年したんだみたいな奴までが、ウイスキイのグラスかなんか持って八尋の傍に来てベタベタしていた。いい加減にしろよと言いたいが、八尋は例によってヘラヘラ笑うばかりだ。
「今日は尾峰は来てないよ。あいつ、中島さんに借りた金を踏み倒して開き直ってるから、顔なんか出せた義理じゃあないんだがね」
 尾峰、という名前が出たほんの一瞬、八尋の表情が曇ったように見えた。でもすぐにそうですかと笑顔になった。なんとなく憂いがあるのが、文人なんて奴らには受けるのだろうか。
 ボーッとしていて顔が綺麗で、そのくせヘラヘラ頼りない。八尋の傍には、年上風を吹かせたい連中が次から次へとやってくる。男のくせに文章なんか書いてる奴には、ロクなのがいない。まあ八尋もそのうちのひとりではあるか。そういやこないだ燃やしてた原稿用紙の束は、あれは八尋が書いたものだったんだろうか。
 結構な遅い時間まで八尋はサロンにいた。おれはというと八尋の横にくる奴くる奴が鬱陶しくて、苛々をためるごとにテエブルの上のものを悪戯していた。最初は誰かのグラスの中の酒の表面に波紋を作るくらいだったが、そのうち物理的に軽いものなら動かせることが判明して、爪楊枝からナプキンと試して最終的にはビール瓶くらいならはたいて転がせるとわかった。この調子で練習すれば、そのうち誰かのドタマをかち割るくらいのことが出来るかもしれない。
 八尋は終始一貫、誰にでも同じ態度を取った。誰に距離を詰められても、逃げない。拒まない。だいたい笑っている。おれに言わせれば流され易いだけのその態度は、多くの人間を勘違いさせている。
 けれどこいつが本当に阿呆なのかと言えば、そうでもない。誰にでも笑うし招き寄せられれば誰の懐にでも入るくせに、八尋はなんぴとをも自分の懐には入れようとはしなかった。なるほどな、と思う。自分で自分を壊さない方法くらいは心得ているらしい。意識してやってるなら大した人誑しだが、どうやらこいつのは天然だ。なお始末に悪い。
 やっぱり本当に阿呆かも知れない、とおれが思ったのは、あの野郎がこのアパートにやってきたときだった。
 いけ好かない、とりあえずまずはいけ好かない。髪も髭もボサボサに伸ばしっぱなし、薄汚れた風体も気に入らないが何より足元だ。雪駄と呼ぶのも気の毒な、ずるずるべったりを履いている。おれはなにがって足元が清潔じゃない奴ほど虫酸のはしるものはないと思っている。当世流行りのデカダンとかいうアレなのか。いかにも借金踏み倒してそうな奴だと思って聞き耳をたてていたら、尾峰さん、と八尋が呼んだ。なんだこないだサロンで悪口言われてた奴か。確かナカムラさんだかニシジマさんだかの借金踏み倒してる男だ。
 尾峰は顔色も悪く、無表情だった。だが、よう、と一言発した声は、にやけている。こんないけ好かない奴にまでニコニコ応じるのかよ、とふて腐れそうになったが、開口一番八尋は意外な反応をした。
「……もう、ここに来ないで頂けますか」
 いいぞそうだ、もっと言え。おれがここに来てから初めて意見が一致したじゃねえか、と思わずおれは八尋の頭を撫でくりまわした。おれの個人的主観だけじゃなく、この尾峰って男からは後ろ向きな空気しか感じない。しかも、人を巻き込む類のやつだ。近づかないのが正解だ。
「……こないだのアレ、どうしたんだよ」
「焼きました。もうありません」
「何だと?」
「……正直、傷つきました。会の原稿を頂くときは、僕の方から伺います。だから」
 なんだかふたりの間には、一種独特の空気が流れている。そこでおれは初めて自分の間違いに気がついた。違う、八尋がこいつにニコニコ応じないのはつまり。こいつが、八尋にとって特別な存在だって意味なんだ。
「生意気言うようになりやがった」
「このままじゃ、あなたはダメになる」
「おれは最初からダメさ」
 尾峰の喋り方はいちいち癪にさわる。徹底的におれの嫌いなタイプだ。自分に酔ってんだか世界に酔ってんだか知らないがさっさと二日酔いで寝込みゃいいのに。
「……瓢窃だなんて。あなたの書いたものだと思うから清書を引き受けたのに」
「いいじゃねえか、おれが書くよりずっとマシ」
「もっと、自分に誇りのある人だったでしょう」
 会話の中身はよくわからないし、興味もない。たださっきから、八尋がおれの知らない顔ばかりするのが気にかかる。なんだって、こんな奴相手に怒ったり泣きそうになったりするんだ。これならいつものヘラヘラの方が百倍マシだ。阿呆か。
「つれねえなあ。手取り足取り、なにもかもおれが教えてやったのに」
「ご恩は忘れてません、だから」
「おい、やかましいぜ。寿」
 腹立つ。なんだこいつ。とりあえず、ぜ、ってなんだ、ぜ、って。あと八尋の下の名前をこいつの口から知ったのもなんとなく腹が立つ。寿だな覚えたからな。ここから先の展開に、おれの我慢は試された。尾峰の野郎が、裾をけたてて浅ましい獣の顔を見せたのだ。正座していた八尋に覆い被さって、どさりと畳の上に押し倒す。蹴りとばせ、そんな栄養失調みたいな小男。と思うのに、八尋は悲しげに眉間に皺を寄せるばかりで、手首を掴まえられたままになっている。
「ナマに口答えばっかりするようになりやがって。最初の頃は本当にウブで可愛かったのによ」
「……、尾峰さん」
 はい我慢の限界。身体を浮かせ、生前は長い長いと騒がれた脚をひょいとのばして小棚の上の茶筒を蹴とばしてやる。すこん、と間抜けな音をたてて畳の上に落ちたそれは、尾峰の薄汚いふくらはぎあたりまで転がっていってぶつかった。こういう空気のときなら、脳天に命中したも同然だ。ざまあみろ。こんなことならもっと必死にビール瓶持ち上げる稽古しとくんだった。
「何だよ、部屋までおれを邪険にしやがる。白けた白けた」
 一応空気を読んだらしい尾峰が、大袈裟に着物の埃を払う仕草をしながら身体を起こした。最初と変わらず尾峰は口調だけをにやつかせ、顔は無表情という気持ち悪さのまま、ずるずるべったりを履いてさっさと帰っていった。ゆっくり起き上がり崩れた袷を整えながら、八尋が深く長い息を吐いた。

 尾峰のいなくなった部屋で、おれたちは向かい合って座っている。と、思っているのはまあおれだけで、実際は八尋はひとりで座ってるわけだが。
「稲荷権現さま、あのひとを見限らないで下さい」
 突然、八尋がくるっとおれの方に向き直り、子どもみたいな声でそんなことを言った。すっかり面食らってしまったが、どうやら声が向いているのはおれの後ろの壁際に立て掛けてある、稲荷のお札にらしかった。八尋は、霊とかこの世ならぬものを引き寄せはしても、本人は絶対見えないというタイプだろう、とこの世ならぬもののおれが言ってみる。
「よい仕事をする方なんです。ペンさえ持ってくれたら」
 手をあわせたりかしわ手を打ったりはしなくとも、八尋があの男のために祈っているのがわかって、おれの胸の奥にはぼんやり薄暗いものが渦巻いた。
 そうしておれは、ようやくおれの足を絡めとっているものの正体を、思い出したのだった。
 たしかにあのとき、おれは視たのだ。
 あの日の午後。昼のさかりを過ぎても天気がよく気温の高い、静かな午後。このガラス窓の外から、今いるこの部屋の中を視た。
 今と同じ、殺風景な部屋の中に横たわっていた八尋を視た。乱れきった着衣を直しもせず手足を気だるく投げ出して、窓の外をみていた。否、きっと視ていたわけではないのだろう。あの瞬間この男は、何もしていなかったし、何者でもなかった。その姿は鳥が落下する瞬間の、すべてを放り出したような美しい重さに似ていた。
 きっとあの日尾峰はここに来て、そうしてこの流され易い青年の懐にどうにかして入り込み、抱いたのに違いなかった。なぜ八尋があいつにその距離を許したのか、それは最早問題ではないと思うことにした。
 あの表情。あれ。あれを。
 蒐集したい。おれのものとして、瓶に詰めて、棚の上に。
 そう思ってしまった瞬間、おれはアパートの前から動けなくなったのだった。あまりに一瞬のことで、自分でも何にとり憑かれたのかわからなかった。これでようやく、元の蒐集家に戻れるのではと、おれは胸をなで下ろした。
 ここしばらくは、こいつに振り回され過ぎた。まるで岡惚れしてるみたいな、妙な気分を味わわされた。
 一日を終えて眠りについた八尋の顔を、鼻をつき合わすような距離でまじまじと眺めた。瓶に詰めて、棚の上。ラベルには何て書こう?きっとおれのコレクションの中でも一番変わったものになる。

 それからしばらくの後起きたことに、おれは大した驚きも興味も感じなかった。尾峰が死んだ。例によってパビナァルを大量服用した結果、側溝で冷たくなっているところを発見されたのだという。事件ではなく、事故だ。当然蒐集なんかしない。当然の結末だ、とだけ思った。
 八尋にくっついているしかすることがないから、イヤでも騒動の顛末を見届けることになる。八尋の学友あたりの間では、尾峰はそこそこ有名な同人作家ということでその死を嘆く者も少なくなかった。対照的だったのがサロンの方で、こちらはおれ以上に尾峰への当たりが厳しかった。ああいうのを身を持ち崩すというんだとか、才能に溺れてダメになったとか、いやもともと才能なんかとか、もっと鼻をつまみたくなるような悪口雑言もあった。文化人なんかを気取ってたって、品性の疑わしいやつが多い。
 八尋が尾峰の葬儀に関する細々した連絡をサロンの連中にし終えた頃には、おれはすっかりくさくさして、さっさとあのボロアパートに帰りたくなっていた。こんな気分になるなんて、慣れと愛着は恐ろしい。
「待ち給え、八尋君」 
 建物の出口の階段を降りかけたところで、呼び止めた奴がいる。ああさっき一番口汚く尾峰の悪口言ってた奴だ。コイツはコイツで、大分感じが悪い。話し方がくどくどしい、さっさと切り上げればいいものを八尋はバカみたいに丁寧に相槌を打つ。
「元気が出なかったら、いつでも僕の下宿を訪ねておいで。慰めてあげる」
 おいなんだコイツ、肩なんか抱いて。結局尾峰の後釜に収まりたいだけか。男の嫉妬なんてのはみっともないことこの上ない。はったおしてやろうか。だがおれはすこしだけ安心していた。八尋がコイツに対して、いつも通りニコニコと応じていたからだ。
 奇妙な歪み方だ、とは思ったが俺はそこを気に入ってしまっているのかも知れない。
 アパートに帰りつく。さすがに疲れが隠しきれないのだろう八尋は、しばらくぐったりと窓際の壁にもたれ掛かっていた。が、そのうち湯呑みをふたつ出してきて、それから押入の隅から一升瓶も出してきた。なんとも古風な弔い方だ、と思って見てたらこいつ大人しい顔して結構な酒飲みだった。飲み方は綺麗なものだったが、いかんせんピッチがはやすぎる。恐ろしいことに、あっと言う間に目の前で一升が空いた。
 酔いが足りない、といった風情で八尋は立てた片膝を己の両腕の中に抱き込んでいる。今日は見慣れない洋装だ。体の線の細さが余計に目立つ。
「………」
 自分の膝頭に頬を乗せ、八尋は虚ろな目をした。体質なのだろう顔色はむしろ飲む前よりも白い。サロンの連中が見れば、やんやで喜びそうな面つきだった。とろりと、遠くに流れていきそうな目。その目の下に、わきあがるものがある。まさか泣く気じゃあるまいな?あの男の死なんかを悼んで、泣く気じゃないだろうな?
 おい、止せ。止せ止せ。
 その淋漓を止めたい一心で、手を伸ばした。ビール瓶を転がせるくらいだ、涙のひと滴邪魔するくらいは、と半ばヤケクソ気味に勢いで手を伸ばすと。
「え……?」
 コボレるほどに目を剥いたこの男が、とてもたった今あの表情をしたのと同じ人間だとは思いにくい。それくらい今の顔は面白な方向だ。もとが端正なだけに、崩れると結構壮絶だ。あれ、おれこれ本当に蒐集したいと思った、か?
 いや、そんなことよりもっと大事件が起きていた。おれの手の先に、生あたたかい感触が乗っている。八尋の見張った目が、いつかの野良猫の百倍くらい混乱しておれを視ている。
 視ている? 視えるはずのないこいつが、おれを?
「……だ、れ……?」
 震える声で八尋が言った。と、いうことはつまり、今のおれは誰にでも視える姿なのだと考えるのが正しい。バカな、いやでも。
 結局おれの魂がふわふわと消えずにいるのも、蒐集を続けたい一心からなわけで。ならこの現象も、蒐集のために一時実体化している、と考えれば…一応つじつまは合う、か?
 おれですら、目下の現象にはかなり混乱しているのだから、八尋の方をみると、神妙な顔で壁に背をつけてじりじりと出入り口に移動しようとしている。そりゃまあ当然だ。自室に突然不審者が湧いたんだもんな。
 ここは一発、有名人の肩書き借りて誤魔化すか……、という案を思いついたその時、存外の敏捷さで八尋が動いた。立ち上がってドアノブに飛びつこうとするのを辛うじて捕まえて、畳の上に組み伏せた。あんまり暴れると、また大家のおばさんに叱られるぞと思いながら、おれは人差し指を立てて、シィと音無く八尋を制した。驚きと怯えで見開かれたまんまの八尋の視線を、ちょうどいいのでそのまま指先で誘導した。
「い……」
 至って真顔でおれの指さした先には、例のお札。
「……稲荷、権現、さま……?」
 八尋の声に無言で頷くと、そのまま尾峰の分の湯呑みを指さし、ご馳走様と手刀を切って見せた。これで何とか『夜中に自分の為に供え物をした感心な青年の元に礼を言いに訪れた、稲荷権現の使い』という体に誤魔化せたのではなかろうか。ていうか、誤魔化されてくれ。頼む。
「あ、……あれは、その、権現さまのお供えじゃ……あ、」
 オタオタと空になった一升瓶を振ってみて、青くなった八尋が再び立ち上がろうとした。
「か……買ってきます!」
「あー、いいからいいから」
 こんな時間に開いてる酒屋なんかあるわけがない。顔に出ないけど割と酔ってるらしい。服の端を掴まえて引っ張ったら、八尋は素直にまた畳に座った。どうやらおれは本当に実体になっているらしい。声もちゃんと届いている。久々の感覚だ。
「……権現さま、」
「何だ」
「……、本当、に?」
 まあなあ、とおれは今の自分の姿を振り返る。ずっとふわふわした身体だったから、気にも留めなかった。ちょうど火事に巻き込まれたあの夜は友達と遊んで帰ってきたとこだったから、いわゆる遊び着の洋服を着て、舶来のタイかなんか締めている。髪型もまあ自分で言っちゃなんだが最新流行だし、極めつけに靴は先の尖ったこれも外国製の革靴。確かにあんまり、お稲荷さんには見えないんじゃないかとは思う。だが。
「お前にとっての真実なんて、お前にしか決められないことだろ」
 言ってやった。やばいおれかっこいい。ここはひとつ強引に突破しよう。いつものヘラヘラ見せてくれよ八尋ちゃん……と顔色を窺ったら、八尋は数度瞬きして、そっとこう答えた。
「……煙にまこうとしてます?」
 うん、バレてる。思ってたより鋭いな。八尋は単なるふわっとした成人男子というわけではないのだ。そういうところが嫌いじゃない。にしても最近こいつにくっついてサロンだのばかり行ってたから、文人連中の自己陶酔が感染したかもな、おれ。
 ほんの微かに、八尋の警戒が緩んだのを感じる。さすがにこの局面ではまだヘラヘラには至らないが、それでいい。
「お前を迎えにきたんだよ」
 正確には、蒐集しに来た、だけど。それじゃ意味が伝わりにくいだろうから。
「迎え…?」
 わからない、という顔で八尋がこちらを見ている。人のいい、誰にでも機嫌のいい男の顔。今は怪訝を通り越して、何がなんだかわからないと目を見開いている。
 正直、その顔はその顔で、欲しい気がするんだよ。全種類を、ひとつずつ。
「八尋」
 これからおれがラベルに書く名を口にしたら、自然と笑みが零れてしまった。ああそんな、もの欲しそうな顔をするのは、普通なら下策だ。
「待っ、……」
「待たない」
 手首をぐいと押さえつけて、そのまま全体重をかけて……と思ったが、果たして今おれに体重はあるのか?まあいいやと逃げる八尋を追い込んで、うんと顔を近づけた。鼻ッ先がかすれる距離にまで迫っても、暴れるとか殴るとか突き飛ばすとか、この男はそういう抵抗をしない。そういう流れで尾峰にも好き放題されたんだったな、とすこしばかり苛立ちが思い出された。
「嫌がるなよ」
「そん、な」
「嫌がるな」
 ぴしゃんと命令して、顎をつかまえた。なんだか、それだけでちょっとこみ上げるものがあって、おれは今更自分の性癖を思い知らされる。いや、おれにあるのは蒐集癖だけだ。これは単なる、コレクションに対する執着だ。こいつの身体そのものなんて、どうでもいい、筈だ。
 顎にかけていた手を滑らせて、親指の先を八尋の唇に添えた。
「……止め、て」
「止めない」
 ああ、と妙に納得してしまう。嫌だとか止めろとか言う割に、八尋は本気で拒まない。何もかもに対してそうなのだ。拒まない、受け入れる。でも、最後の最後で何かを渡さない頑固さがあるから、それごと奪ってしまいたくなるのだ。そういう下衆さな趣味はおれにはないと思っていたが、結構昂揚してる自覚はある。すこしばかり、嗜虐的な気分も。そのまま噛みつくみたいにキスしてやった。
「……、…っ、は…」
 ぷは、と唇を離したときには、こちらも大概息があがっていた。長く時間をかけたから、八尋の唇は青い頬に不釣り合いなほど紅くなっている。くったりと顔を横に倒してしばらく荒くなった呼吸を整えていた八尋が、掬いあげるようにこちらを視ている。
 嗚呼、そう。この顔だ。何者でもない、何も視ない目。
 でも今はもう、これだけで満足なんて出来そうもない。いつでも機嫌のいい笑顔、それが震えて泣いたり、憤慨したりするのも知っている。ならたとえばこうしてもっと快楽でドロドロになるまで追いつめたら、どんな顔が見られるんだろう?
「やっと、」
 おれのものだ。どこかで、透明な鈴の砕ける音がする。ひとつ蒐めるのにこんなに苦労するなんて。でも、これだから蒐集は止められない。
 そうだ、どうせ容れるなら、そうした変化をする生きた姿のまま瓶に詰められたら最高だ。難しいだろうが、おれならきっと出来る。だっておれは、この国随一の蒐集家コレクターだから。具体的な方法は伏せるが、結構えげつない方法を使ってでも欲しいものは欲しい。血脈的な問題だ、と言っておこうか。



 

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