猫魔地

発行日 2016年11月23日
第二十三回文学フリマ東京
『逆行少年』の直嗣×直海のその後かつ、猫町での出来事。

『猫町』という本のオマケにつけている『猫町の地図』の裏に載せてある掌編です。

 

◆◆◆


 結局、直嗣(なおつぐ)は直海を誘わずひとりでここに来た。仲介の不動産屋が、あまりにも怪しい雰囲気だったからだ。
「ねこまち、ってね。まあ通称ですがね」
 この場合の怪しいとはやくざっぽいとかぼったくりとか、そういうこととは少し違った。寧ろ妖しい、のほうに近い。
「あなたくらいの、お若い方たちも住んでらっしゃいますよ」
 いやに幅の広い、舗装されていない道を歩きながら不動産屋がそう言った。街からそう遠くないはずの場所なのだが片田舎、と呼んでしまっていいような道だった。不動産屋の運転する軽自動車に揺られたのは、ほんの二十分ばかりだっただろう。駐車場とも呼べぬような空き地に車を停めて、不動産屋と肩を並べて(と言って不動産屋は直嗣より頭ふたつは小さかったが)歩くうちに直嗣の予感は確信に変わる。
 やはり直海を、連れてこなくて正解だった。
 今更直海を世間知らずの坊ちゃん扱いしようとは思わないのだが、頑固が発動すると厄介だ、とは思っている。もしこんな場所を見て、面白そうだな、などと言い出そうものなら。それこそ直嗣がどんなに言葉を尽くして怪しいとか胡散臭いとか説明したところで、直海は絶対に聞き入れてはくれない。ふたりで暮らすようになって初めて思い知った、直海の地金の部分である。穏やかに、頑固。拗らせると割と面倒なのだ。
「……」
 道の端に、見たことのない背の高い雑草が並んでいる。別に、都会人ぶるつもりはない。直嗣たちの元いた島の方が、よほど田舎なのだとはわかっている。
 それでも、この道には違和感がある。
 自分が随分な説明下手だという自覚はあるが、それでも感覚そのものには自信があった。違和感の行き着く果ては恐らく、危険でしかない。
 直嗣には子どもの頃から『そういう』雰囲気を感じる癖があった。自分では癖だとしているが、もっと解りやすい言葉にするなら、霊感とか、そういう類のものかも知れない。このことを直嗣は誰かに話したことはない。
 特に、直海には。
 直海は、直嗣の真逆だ。
 直海自身は『そういう』モノを、まったく感じない。感じられない。感じられないくせに、何でも引き寄せてしまうのだ。元々直海の容姿が人間の目を惹きつけるものであるのは承知しているが、それ以外のものも引き寄せていると直嗣が気づいたのは、いつからだったろう。
「猫がね、たくさんいるんですよ。猫魔地ってくらいですからね。お嫌い?」
 ぼんやり考える直嗣の横顔を時々、ひどく面白そうに覗きこみながら不動産屋は喋り続けていた。
「ねこ……」
 別に好きとも嫌いとも、直嗣は何とも思わない。擦り寄ってくるならば邪険にはしないだろうが、正直どうでもいい。
 そう言えば、直海は猫が好きだったかも知れない。
 島にいた頃は、学校帰りによく絡まれていたのを見た気がする。遠目に見えた直海はしゃがみ込んで足元に猫を侍らせていて、そいつらは直嗣が近づいていくと、ふいと距離をとってどこかへ散って行ってしまう。直海はそれを特に気にする風もなく、直嗣の姿を見つけて片手をあげる。たったそれだけのことが、随分と直嗣の独占欲を満たしたものだった。
「猫は魔除け、なんて申しますからねえ」
 そう遠くない昔の記憶を描き出す隙間に、不動産屋の声が割り込んできた。魔除け。魔も猫も人も、何でも引き寄せてしまう直海に、果たしてその効果はあるのだろうか?
 にゃあん、にゃあん。
 お前ごと、除けてやろうか。
 記憶の中の島の猫が鳴き出す。まだ猫町に着いてすらいないのに、それでも。
 ニャアンニャアン。
 キケンノサキハ、コドクノゼツボウダヨ。
「……おっさん」
「はいはい」
「やっぱ、やめとく」
 歩みを止めた直嗣を、不動産屋は驚いたように見ていたが、ニタリと愛想笑いのようなものを浮かべて答えた。
「そうですか、それはそれは。今回は残念ですが、いつかまたのご用命を」
 差し出された名刺を無視して、直嗣はきびすを返した。それなのに、ふいとポケットの奥に紙一枚分の重さを感じた気がして、思わず後ろを振り返る。そこに不動産屋の姿はもうなかった。

 直嗣がアパートに戻ったのは、夜になってからだった。安普請の狭いアパートはドアを開けるとすぐに狭いキッチンがあって、その奥に八畳ほどの和室があるだけだ。ふたりで住むには随分と、狭い。少し遅くなるかも、と伝えておいた。
「遅かったな」
 直嗣の帰宅したとき、直海はキッチンでマグカップに湯を注いでいるところだった。スプーンでくるくるとカップをかき回しながら、直海が訊ねた。
「飯は?」
「食ってきた」
 これは、嘘だった。だがあまり食欲がない。直海は、何を食べただろうか。まさかひとりで料理はすまい。コンビニで買ったか、それともどこか近くの店で食べてきたか。
「何してた?」
「……コーヒー」
 不思議そうに直嗣の顔を見ながら、直海が手にしたカップを軽く持ち上げて答える。それは見ればわかる、と言いかけて直嗣は口を噤む。そのまま、勢いで直海の首に腕を回す。身長差はほとんどない。力の差はどうだろう。同じくらいの体格の男に抱きしめられることを、直海はどう思っているのだろうか? さっきから、直海に訊ねたいこと、それも細かいことばかりが次から次へと浮かんでは通り過ぎていく。困らせたいのかも知れなかった。まるで心が落ち着かない自分を支えきれず、直海に縋っている。
「……ミサ?」
 形のいい瞳を瞬かせて、直海はされるままでい続けた。ぎゅっと腕に力を篭めながら、直嗣はようやく唇を動かした。
「なあ」
 特に返事はないが、直海の注意が自分だけに向いているのがわかる。彼の沈黙は心地よかった。いつまでもこうしていたかったが、続きを待たれているのがわかって
「この部屋、好きか?」
「……どうした。何かあったのか」
「いいから。好きでも嫌いでもどっちでもいいから」
 答えがどっちだろうと、それは問題ではない。本音でさえあればいい。
「直海、どっち」
「……」
 真下におろしていた手をそろりと直嗣の背にまわし、ぽんぽんと直海が軽く背中を叩いた。やがてその手は観念したかのように直嗣の背に留まって、不器用な抱擁になっていく。
「俺は、いいんだ」
 直海の静かな声に、直嗣の胸は甘く苛立つ。そうした控えめな部分が直海の美徳であることは知っている。だがそうではない、訊きたいのは直海の望みだ。直海自身の我儘をききたいという、直嗣の我儘だ。望んでくれなければ意味はない。
「だから、」
「ミサと住めたら、どこでもいい」
 追及は、珍しくも上擦った直海の言葉に遮られる。思わず息を飲んでしまい、結果訪れた沈黙にインスタントコーヒーの漂香が混じるようだった。
「……何、それ」
 直嗣が唇を尖らせる。一気に満足し過ぎて、逆に妙な居心地になったのだ。直海が呆れた調子で笑った。
「お前、さっきから子供みたいだ」
 そう言われることがまるで嬉しいことであるかのように、直嗣の心は穏やかだった。記憶の夏の日に、群がる猫たちから直海を取り上げて我勝手に得た満足に似ていた。
 にゃあん、にゃあん。
 今度はふたりで一緒においで。
 ワレラミンナデカンゲイスルヨ。

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